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福島地方裁判所会津若松支部 昭和47年(ワ)4号 判決 1975年12月25日

原告

高橋正衛

被告

高橋敏喜

ほか一名

主文

原告の被告両名に対する各請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

一  当事者の求めた裁判

1  原告

「被告らは連帯して原告に対し、金四四八万六二四二円及びこれに対する昭和四一年九月二二日より完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告らの連帯負担とする。」

との判決及び第一項につき仮執行の宣言

2  被告ら

主文同旨の判決

二  請求の原因

1  交通事故の発生

(一)  発生日時 昭和四一年九月二二日午後六時一〇分頃

(二)  発生場所 福島県耶麻郡山都町大字木幡字西向甲二二三五番地付近の県道上

(三)  事故車両 被告敏喜運転の自動二輪車(以下本件自動二輪車という。)及び原告運転の自転車

(四)  事故態様 原告が前記県道を自転車に乗つて北進中対向進行して来た被告車と正面衝突し、原告が路上に転倒した。

(五)  原告の受けた傷害 脳振盪、顔面打撲、下顎骨折、右膝関節血腫、頭部外傷

2  責任原因

被告敏喜には前方不注視及び道路中央線より右側を進行した過失があるから民法第七〇九条による一般不法行為により、又被告利雄は、本件自動二輪車の保有者であるから自賠法第三条による運行供用者として共に後記損害を賠償する義務がある。

3  損害

(一)  医療費等 一四〇万〇五〇〇円

(1) 原告に生じた入院期間(昭和四一年九月二二日より昭和四二年三月一日まで、昭和四二年三月一八日より同年七月二日まで、昭和四三年七月一五日より同年八月一五日まで)中の(イ)入院費六五万五五〇〇円、(ロ)入院雑費三七万五〇〇〇円(一二か月一四日、月額三万円の割合)、(ハ)付添費四万二〇〇〇円(三五日間一日一二〇〇円)

(2) 原告に生じた通院による医療費 三二万八〇〇〇円

(二)  休業補償金 一三六万五〇〇〇円

原告は、本件事故発生前屋根職人として平均一か月六万五〇〇〇円(二六日間稼働、一日二五〇〇円)の収入を得ていたから事故当日以降昭和四六年一二月末迄(六三か月と八日)の間に四〇九万五〇〇〇円の所得があり得たところ本件事故により少くともその三分の一を失つた。

(三)  慰藉料 二五〇万円

原告は前記の通り屋根職人として屋根の葺替を業としていたが本件事故以来頭部外傷後遺症、右膝変形性関節症の為右作業を行うことが不可能となり、他に収入の途もない為他からの借入金によつて医療費等を支払い、原告の妻が土工として働き辛じて生活を支えてきた。原告の頭部外傷後遺症は、痛みを伴い、脳水が減少する為めまいを生じ歩行も困難となり通常の生活も人の扶けが必要であり全治の見込もない。一方被告敏喜は事故当時未成年であつたが、昭和四五年に成人に達し、被告利雄は山都町屈指の資産家である。このような諸事情を考慮すれば、慰藉料として二五〇万円が相当である。

4  一部弁済

被告らは原告に対し、これまで六七万九二五八円を医療費の一部として支払つた。

5  よつて原告は被告らに対し、被告らが連帯して右総損害額から右の支払分を控除した金四四八万六二四二円及びこれに対する本件事故当日より完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

三  請求原因に対する答弁及び抗弁

1  答弁

請求原因1の(五)の事実は不知、その余の事実は認める。

同2の事実中被告敏喜に過失があつたとの点は否認、その余の事実(被告利雄が本件自動二輪車の保有者であること)は認める。

同3の(一)の事実は不知、(二)、(三)の事実中原告がかつて屋根職人であつたことは認めるが、その余の主張は争う。

原告は後遺症を主張するが原告の愁訴は精神的なもので、単に頭痛等がすると思つているだけであり、仮にそのような症状があつたとしても、それは原告が以前まさかりで頭を割られたことがあるので、これによるものとも考えられるから果して本件事故に起因するものであるかどうかは疑わしい。又原告は肉体的に極めて健全であり、毎日通常人と同様労働に従事しているばかりか重労働である隧道工事にも従事している。

2  抗弁

(一)  原告が被告らに対し、本件事故により損害賠償請求権が発生したとしても、右請求権は本件事故発生時より起算して三年を経過した昭和四四年九月二二日をもつて時効により消滅した。しかるに原告は、その後の昭和四七年一月一八日に本訴を提起したものである。(なお原告は被告らを相手方として、損害賠償を求めて喜多方簡易裁判所に調停の申立をしたことがあるが、右調停事件は昭和四三年九月五日不成立として終了したところ、原告はその後二週間以内に訴を提起していない。)

原告は、後遺症がある場合時効の起算点を別異に解すべきであると主張するが、原告の愁訴は前述の通り精神的なもので、客観的に後遺症として認定できるものではない。仮に後遺症があるとしてもその主たる症状は頭痛・あご関節疼痛などであり、これらは原告の受傷当時判明し又は当然に予想できたものであるから、消滅時効が別個に進行することはない。

仮に原告に後遺症があり且つ負傷当時予想できなかつたとしても、原告に後遺症が発現しそれを知つた時若しくは遅くともその治療を受けた時に損害賠償請求は可能であるからその時点が消滅時効の起算点と解すべきところ、原告は、遅くとも昭和四三年二月一四日に医師の診断により後遺症が認定されこれを知つたのであるから、この時より三年を経過した遅くとも昭和四六年二月一四日に損害賠償請求権は時効により消滅した。

(二)  仮に被告らに損害賠償の義務がありかつ右時効の主張が認められないとしても、本件事故は、原告が酒に酔てて自転車を運転して道路中央付近を前方不注視のまま進行したことにより発生したものである。従つて原告にも過失があるから相当額の過失相殺がなされるべきである。

四  抗弁に対する原告の答弁と再抗弁

1  答弁

抗弁(一)のうち本訴提起が事故後三年を経過した後の昭和四七年一月一八日であることは認めるが、時効の起算点を争う。原告は前記請求原因の3(一)及び(三)に主張する通り本件事故により三回に亘つて入院を重ね、今日もなお後遺症による治療を続け、出費を余儀なくされている。このように現在もなお損害を生じている以上は、消滅時効は進行しないものというべきである。仮に右の主張が認められないとしても原告は、右の通り入院を重ね、後遺症と認定されたのが昭和四四年八月二〇日(第三回目の入院時)であるから、右認定時が時効の起算点である。

抗弁(二)の事実(原告にも過失があつたとの点)は否認する。

2  再抗弁

仮に時効の起算点に関する原告の右主張が認められないとしても、被告らは原告に対し、昭和四五年三月まで本件事故による損害賠償債務の履行として医療費見舞金等を支払つたことにより原告の請求を承認したものである。従つて時効は中断した。

五  再抗弁に対する被告らの答弁

被告らが原告に対し、医療費等の支払いをしたことは認めるが、その余の事実は否認する。被告らが原告に対し賠償金を支払つた最終日は昭和四二年二月一七日である。(なお被告らが社会保険事務所から求償された最終日は同年五月三一日である。)従つて右支払が債務の承認としてもそれより三年を経過した遅くとも昭和四五年五月三一日に時効期間が満了した。

六  証拠関係〔略〕

理由

一  請求原因1の(一)ないし(四)の事実は当事者間に争いがない。そして〔証拠略〕によれば、原告は本件交通事故により脳振盪、顔面打撲、下顎骨折、右膝関節内血腫の傷害を受けたことが認められ、この認定に反する証拠はない。

二  〔証拠略〕を総合すれば、本件事故の発生につき、原告にも過失があつたか否かは別として、被告敏喜に前方の安全を確認しないまま進行した過失があつたことが認められ、この認定をくつがえすに足りる証拠はない。そして被告利雄が本件自動二輪車の保有者であることは当事者間に争いがない。

してみると原告は被告らに対して、本件事故によつて原告の受けた傷害に基づく損害の賠償請求権を取得したことは明らかである。

三  そこで、損害額の認定に先だつて被告らの時効の抗弁について考える。

1  まず本件事故が前記のとおり昭和四一年九月二二日に発生したものであるところ、本訴がその後三年を優に経過した昭和四七年一月一八日提起されたものであることは記録上明らかである。

2  ところで民法第七二四条は、不法行為による損害賠償請求権は、被害者又はその法定代理人が損害及び加害者を知つた時より三年間これを行わないときは時効によつて消滅すると定めているが、これは三年という時の経過によつて加害行為、損害の発生及び範囲、因果関係等に関する立証(本証・反証を含めて)が困難になること、被害者が加害者及び被害の事実を知つてから三年も経過すれば、通常被害者の加害者に対する憤満の感情も解けるであろうこと等がその主な理由と解される。そして不法行為による損害賠償額は契約上の債権とは異り裁判所による最終的判断がある迄は変動する不確定なものであることが通常であり、又確定しなければ権利の行使ができないものではない。

そうだとすれば被害者が「損害を知つた時」とは、損害の範囲程度即ち損害額を具体的かつ確定的に把握した時を意味するものではなく、被害者が加害行為によつて自己の利益を害されたことを知つた時であると解すべきである。そして本件のように加害行為が人の身体に加えられ、被害者が傷害を負つた場合には、その負傷(身体的障害)それ自体が人の利益を害するものであるから、被害者が、負傷の事実を認識した時には、これに伴つて通常生ずる各種の症状やこれを基礎として算出される損害の額が未だ具体的かつ確定的に認識、把握できない場合でも右の「損害を知つた」ものというべきである。従つて、被害者が負傷した場合には、社会通念に照らして右負傷に伴つて通常生ずると予想される範囲の全損害について負傷の時から時効が進行するが、他方その時点で予想することのできない症状がその後に発現し又は当初の症状が予想外に長期間に及ぶなどの事情が生じた場合には、その事情を知り得た時から、これに伴つて通常生ずると予想される全損害について別個に時効が進行するものと解するのが相当である。

3  そこで本件の損害が右のいずれにあたるものであるかについて考える。

(一)  原告が本件で訴求する医療費、休業補償費及び慰藉料等の損害額算定の基礎としての負傷は、原告の主張によれば本件事故による後遺症として今日なお頭痛、めまい、膝関節痛が著しく、これが為に今だに歩行も困難であり、通常の生活にも人の助けが必要であるというのである。

(二)  しかし、〔証拠略〕を総合すれば、原告は昭和四七年頃から今日迄家族と共に農作業を行い昭和四八年には四十数日間隧道工事にも参加して土砂の運搬の仕事に従事していることが認められ、この事実に後記各診断書の記載を総合すれば、原告に今日なお頭痛、めまい、膝関節痛などの症状があるとしてもそれは原告の主張するような重篤なものでないことは明らかである。

なお〔証拠略〕によれば、原告は本件事故当日より会津若松市内の竹田綜合病院に入院し、昭和四二年三月一日同病院を退院したが、その後昭和四二年三月一八日より同年七月二日までの間と昭和四三年七月一五日より同年八月一五日までの間同病院に入院したことが認められるが、これは主に後記診断書に記載された内容の自覚症状により再入院したもので、この間特別の治療が行われたことを窺う証拠がない(〔証拠略〕によれば、右入院中に耳の治療が行われているが、これは本件事故によるものでないことが認められる。)から、右の通り二回入院したとの事実は右の認定を左右しない。

(三)  〔証拠略〕によれば原告に対する昭和四二年一一月二一日付の医師の診断書には自覚症状として「頭痛、右顎関節部疼痛、下門歯二本の知覚低下、右膝疼痛、左軽度の難聴があるが、右症状は固定の感があり後遺症と認められる。」旨の記載があり、昭和四三年二月一四日付診断書には頭部外傷後遺症との病名が付され、自覚症状として同趣旨の記載があり昭和四三年三月一八日付の診断書にも右とほぼ同趣旨の記載があるほか神経学的に異常所見がなく、脳波検査にも異常が認められない旨の記載があり、さらに昭和四四年四月一日付、同年一二月三日付、昭和四五年一月一二日付、同年六月一三日付、昭和四八年七月二三日付の各診断書にも自覚症状として前記昭和四三年三月一八日付の診断書とほぼ同趣旨の記載がある。

ところで、右診断書に記載された各症状は主に原告の自覚症状であることや原告が前述の通り農業等に従事している事実に徴すると、原告が今日もなお頭痛、めまい、膝関節痛があるとの点についても若干疑問がないではないが、右各診断書の記載及び〔証拠略〕を総合すれば、原告が右のような症状のあること自体は推認するほかない。

そうだとすれば、本件事故による原告の負傷の部位程度からみて頭痛、めまい、右膝関節痛等がいずれも右負傷に伴う症状として事故後或る程度の期間継続するであろうことは負傷当時に容易に予想できるところであるが、事故後六年以上にも亘つて継続することまではその当時予見できなかつたものというべきである。

4  しかしながら〔証拠略〕を総合すれば、原告は、前記の通り記載された昭和四二年一一月二一日付及び昭和四三年二月一四日付各診断書(〔証拠略〕)をそれぞれその日に担当医師から受領したことが認められるから、そのころ本件事故の後遺症として頭痛、めまい、膝関節痛がその後相当長期間に亘つて継続するであろうことを了知したものと推認される。

そうしてみると、原告は遅くとも昭和四三年二月一四日に原告主張の後遺症に伴う損害を知つたものというべきであるから本件損害賠償請求権は他に中断の事由がない限りその後三年を経過した昭和四六年二月一四日時効によつて消滅したものといわざるをえない。

四  次に原告の再抗弁について考える。

原告は被告らが昭和四五年三月原告に対し医療費等の支払をした旨主張するが、これを認めるに足りる証拠はない。即ち被告らが原告に対し六七万九二五八円の支払をしたことは当事者間に争いがないが、被告らが原告に対し、遅くとも昭和四二年六月(〔証拠略〕によれば、被告敏喜が、同年五月三一日に会津若松社会保険事務所に求償金を支払つたことが認められる。)以降に本件事故に関する賠償金を支払つたことを認めるに足りる証拠はない。(なお〔証拠略〕には原告が昭和四四年秋ごろ被告らに賠償請求をした旨の供述があるが〔証拠略〕に照らして信用できない。)

五  以上の通りであつてみれば、原告の被告らに対する本訴請求は、その余の点について判断する迄もなくいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文の通り判決する。

(裁判官 清野寛甫)

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